|
1月16日 メンドウサの町は大きな街路樹が町を埋め尽くしている。古い建物の2階の事務所で、登山申請書を書き、外のコンビニのようなところで費用を支払い、再び事務所に戻って、入山許可証が発行された。 登山用具店で不足と思われた用具を整え(ダブルのストックとダウンの入ったミトンを購入)。道路に面したテラスで地元の肉料理の夕食をとる。山と積まれた肉は硬いが美味い。ビールやワインで盛り上がっていると、インカの民族衣装を着た流しの3人が我々にもなじみの曲を軽快に演奏してくれた。彼らのCDを購入する。
1月17日 車でアコンカグアを目指す。延々と続くブドウ畑の中の道を走り、乾燥して荒れた原野を過ぎ、山間部に入る。山は緑がなく、乾燥し赤茶けた地肌がむき出しで、崩れた土石が斜面を覆う荒涼とした山並が続く。午後3時にレンジャーステーションに到着。きれいな池があり、遠くに目指すアコンカグアが白い大きな姿を現す。アコンカグアを見るための観光客の姿も多くみられた。
レンジャーに入山許可証を渡し、4時半に出発、キャンプ地のコンフレンシアまで緩やかな山道を3時間ほど歩く。コンフレンシア(3300m)には大小100ほどのテントが張られており、我々もここの常設テントを使用する。
1月18日 朝、メディカルセンターのテントで検査を受ける。アコンカグアでは高度の関係でBCより上にはレスキューのヘリが飛べないために登山者の健康診断が厳しく行われている。 検査結果、血圧、血中酸素濃度ともOK。ところが、メンバー8人中3人(男性)が、血圧が高く(140以上)登山許可が出ない。予定ではBCに上がることになっていたが、今日はここに停滞することになる。計画では登頂に予備日を1日持っていたが、ここで使ってしまう。
南壁の下までトレッキングに行った。後退して泥に埋まった氷河の脇を歩き、南壁の近くまで歩いた。標高差2500mほどの壁は雪をまばらに付けて輝き、圧倒的な大きさであった。
1月19日 昨夕と朝、3人の血圧検査が行われたがNG。 BC(プラザ・デ・ムーラス)の検査にゆだねることにして出発。ここからBCまで徒歩で約10時間、馬に乗ってゆくと約5時間で到達出来る。馬に乗ってみたかったことと、アコンカグアに登る前に体力を消耗したくないと思い馬を選んだ。我々乗馬組3名は馬方が先頭になり、4頭の馬(馬とロバの間の子のムーラ)の綱をつないで一列になって進む。谷底に向かう急な坂道を、揺れる馬の背でバランスをとって下り濁流を渡る。 広い河原を進む。私が乗った馬が歩くのを嫌がる。一頭が歩くのをやめると全体が止まる。その度に馬方が大声を出し、馬の顔を手綱で叩く。徒歩の倍のスピードで歩くはずが、一向に進まない。馬方が怒鳴り、叩き、ついに石を馬の顔に叩きつける。馬が尻込みして他の馬の間に逃げ込み足が手綱に絡みんで落馬しそうになる。馬方はつないであった手綱を解いて馬をバラバラに放した。放された馬は勝手な方向に歩き出す。馬方が馬を走らせ、散らばった馬を進行方向に向かわせる。しばらく混乱したが、そのうちに我々も馬の扱い方が判かってきて、各自が自分の馬に声をかけ、手綱で鞭を入れ、馬腹を蹴って走らせ、先程までのトラブルが嘘のように、広い河原を気持ち良く進んだ。高いモレーンの急な登りを2つ越すと色とりどりのテントが張られたBC(4230m)に着いた。
徒歩組が到着するまで、時間があるので、高所順化のためにアコンカグアに向かって一時間ほどかけて200mほど登る。8時半に徒歩のメンバーが到着、夕食をとる。夜の訪れが遅く夕食が済んだ後に、見上げるアコンカグアの壁が夕日で赤く染まっていた。
1月20日 今日はBCに停滞。近くのホテルに遊びに行く。
1月21日 今日から高所順化のためにBCからC1のニド・デ・コンドレス(5350m、コンドルの巣)に登り、明日、C2のキャンプ・ベルリン(5900m)に登った後BCに戻る予定。9時半にBCを出発、5時間かけて、ニド・デ・コンドレスに到着する。各自、テント設営を行い、周りの雪田から雪を取って来て水を作り食事を作る。雲が出て風が強まり寒さが厳しく、天候の悪化を心配する。
1月22日 テントでミルクやコーンフレークで簡単な朝食とり、C2予定のキャンプ・ベルリンに向かう。難しい所はないが高度による息苦しさが増す。キャンプ・ベルリンに到着し、一休みしてC1に戻る。テントが風で飛ばされないよう補強してBCに下る。崩壊した小石のザレ場を一気に下る。
1月23日 今日はBCでの休養日。午前中はキャンプ地の近くにある池やペニテンテスが立つ氷河を見に行く。人の背丈を越える氷柱が立ち並び、中に入ると迷路の様だ。午後、ホテルにシャワーを浴びに行く(有料)。お湯がぬるくて寒いが、さっぱりとして気分爽快。明日からいよいよアコンカグアに登るための禊(ミソギ)をした気分。 メディカルチェックで3人の登山許可が下りる。ようやくメンバー全員でチャレンジできる。
1月24日 BCからC1のニド・デ・コンドレスへ。今日からようやく頂上に向かってのチャレンジが始まる。長かったここまでの半月間は、高所順化するための準備期間。2〜3日前からよく雲が出て雪が降るようになった。我々に予備日がない。登頂に要する4日間、天気があまりくずれないことを願う。C1に到着する頃から雲が出て、風が吹き、雪が吹き付ける。テントの周辺は一面の雪景色に変わり明日の行動が心配になる。
1月25日 C1からC2のキャンプ・ベルリンへ。朝までに数センチの積雪があったが、風に飛ばされて山肌にはあまり雪が付いていない。昼近くなってからC2に登る。小さな避難小屋があり、すでに10張り程のテントがある。テントを設営するだけで息切れする。雪を溶かして水を作りインスタントの炊き込みご飯などを作って食事をする。
1月26日 今日は山頂へアタックする。4時過ぎに起床、血圧も血中酸素もOK. ピッケルは持たずにストックとアイゼンを持ち、6時に出発する。暗い斜面を一列になって登る。息が苦しい。空が徐々に明るくなるに従い、寒さが厳しくなる。雪が多くなりアイゼンを付ける。気温は氷点下27度、風が吹き付け、体感温度はー40度ぐらいであろうか。10mほど先の岩などに目標をつけ、数を10ずつ数えて登った。たった今のことが遠い過去のことのような不思議な感覚を覚えながら、ただ山頂を目指して歩いた。山頂に向かう長いトラバースが終わり急な岩場を登ると広い平坦な場所に出た。午後2時、念願の山頂に立った。
山頂には空き缶で作られたような十字架があるだけで、他に何もない。雲が周りの山々を隠し、期待した厳しい美しさをもつ南壁を見ることも出来なかった。写真を撮り残りのメンバーが到着後下山を始める。途中から雪が激しく吹き付ける。下りるに従い雪が深く朝の出発時と様相が一変していた。歩き続けてもキャンプ地が見えない。岩とザレた傾斜地で地形の特徴がないので、先頭を行くガイドが果たして目的地に正しく向かっているのか心配になる。辺りは薄暗くなり、風雪が容赦なく吹き付ける。キャンプ地を見下ろす所に来てほっとする。
夜の9時、薄暗くなりかけたころにようやくキャンプ地に帰り着いた。テントを出てから15時間、疲れ果てていた。その時不思議な現象が現れた。少し離れた霧の中から、カメラのフラッシュのような閃光が光る。稲妻の一種かと気にしながらテントに戻った。テントにもぐり込むと外でフラッシュが光る。そこでようやくこれは自然現象ではなく自分の目に異常が来ていることが分かった。瞬きする度にフラッシュが光る。
1月27日 テントの外が明るく眼がさめる。昨夜のフラッシュが消えている。高度の影響が目に来たのであろうか。メンバーの中には指先数本が凍傷で黒くなった人、足の指が軽い凍傷になった者もいた。朝食を取り、テントを片付けて12時半にキャンプ地を発ち、3時半BCに帰着。ほとんどのメンバーが登頂出来、BCに帰り付けたことがうれしい。
1月28日 メディカルセンターの医師より、指を凍傷したものはレスキューヘリで下山する指示が出て、ヘリに乗って1人が先に帰って行った。11時に出発の予定でいたが、ここでまたトラブルが発生し1時間ほど出発が遅れた。この山ではBCより上に登る際、一人ずつ登山許可番号が書かれたゴミ用とトイレ用のビニール袋が渡される。帰りにレンジャーに渡すが、無くした場合500ドルの罰金と言われていた。下山に際して袋が一枚足りない。一部がすでにヘリで下されてしまい確認のしようがない。この処理にレンジャースティーションでも長時間かかったが、どのようにガイドが処理したか我々は知らない。
私と足に軽い凍傷を負ったメンバーを含めた3人は馬で下山。他は徒歩で下山する。帰りの馬は素直に乗せて歩いてくれた。モレーンの急な下りを過ぎ、無事に平坦な河原に降りると馬も気持ち良さそうに歩き、馬上から雄大なアンデスの山々を眺めながら進んだ。4000mを下る辺りからまばらに小さな高山植物が見られるようになり、小鳥の姿も見られる。空気が美味しく感じられ呼吸が楽になる。緑があり空気の濃い所は本当に気持ちが良い。馬上で振り返るとアコンカグアが白く輝いている。
1月29日〜31日 車で国境を越え、チリのサンチャゴに戻る。市内で夕食を取った後、空港に移動し帰国の途に付く。夜間飛行でアトランタに付き、乗り換えて再び夜間飛行で成田に帰国。
|