二姑娘山    2006,6月 単独
左より 四姑娘山(スークーニャンシャン6250m)、三姑娘山(サンクーニャンシャン5355m)、
二姑娘山(アークーニャンシャン5276m)、大姑娘山(タークーニャンシャン5025m)

現地のチベット族の神話で4人の娘(女神)の化身とされる。

 昨年モンブランで知り合った、マカオ大学のC教授から、四姑娘山に入るが、一緒に二姑娘山に登りませんかとお誘いのメールが来た。1月に車の事故で腰椎を骨折して入院し、体調が悪かったが、ぜひ、行きたいと返事をした。準備も整った出発の直前に、Cさんから交通事故で怪我をしたので登山は出来ないと言う。中国語のかけらも知らない自分が、単独で中国にわたり、登山する自信が全く無いが、Cさんの友人が現地にいるので紹介していただけるというので、彼を頼って単独で行くことにした。

6月15日 長野から乗り合いタクシーで成田に向かう。9:30発のAIR CHINAに乗り、北京で入国審査を受け、四川省の成都に午後の3時半着。Cさんが予約をしてくれた、ツーリスト(バッグパッカー)が集まる安い宿に泊まる。親切に対応してくれた。
 16日 まだ薄暗いうちに宿を出てタクシーを拾い、バスターミナルに行く。行き先の「日隆(リーロン)」と書いた紙を通行人に見せて訪ねたがさっぱり要領を得ない。何人かに尋ねてようやく日隆を経由する路線バスに乗った。
 バスは成都の町を出て、途中で2〜3箇所休憩があり、4250mの峠を越えて午後の2時過ぎに日隆に着いた。Cさんに紹介してもらったタンウェイ氏の氷石酒場(アイスロックバー)を訪ねる。
 タンウェイ氏は20代後半ぐらいの中国人で、奥さんと2人でこの町で酒場を経営し、登山者の世話をし、2頭の救助犬(レッドリバー)を飼い、店の隅でドラムを叩いていた。この町で
出会ったただ1人英語を話せる人で、私の片言
の英語を根気良く聞き、相談相手になってくれた。

 日本から持参した焼酎はご主人が、私の著書の花の本は、山の花をデジカメで撮っている奥さんが喜んでくれた。本とパソコンで現地の花と日本の花を比較し、言葉は良く通じないが共通の話題?に花が咲いた。タンウェイ氏に宿を紹介してもらい、明日、山に入るためにガイドと荷物運搬用の馬を手配してもらう。
  タンウェイ氏の話では、年間1000人ぐらいの日本人がトレッキングと観光ツアーで訪れる。殆どは大姑娘山のトレッキングで、登山を目的に来たのは、四姑娘山の北壁を初登攀したクライマーの山の井氏以来、私が二番目といっていた(そんなことはないと思うが?)

BCへ
  17日、ホテルに馬を引いたガイドが迎えに来る。馬に私とガイドの荷をつなぎ、8時にホテルを出る。町を通り過ぎ、海子溝(谷)の入り口のゲートで、入山料、馬の入山料、外国人入山料などいろいろ請求された。山道に入ると馬に乗って観光する多くの観光客がすれ違う。林を抜けてなだらかな草原の尾根道になる。チベット仏教(ラマ教)の仏塔が立ち、鮮やかな色彩の旗が風にはためいている。

 雪が白く輝く四姑娘山の4峰が並んで見えてくる。山に向かって礼拝する場所、踊りを踊る場所などを通る。高山植物が一面に咲いている草原の中を緩やかに登って行く。赤や黄色の大型のサクラソウ、スミレ類、シャクナゲ、日本では見ることがない沢山の草花、数は少ないがエーデルヴァイスも見られる。そんな草原に牛やヤク、馬がのどかに草を食んでいる。1ヵ月後には一面にブルー、ピンク、イエローのポピーが咲き乱れるという。大姑娘山からくる尾根を渡り、谷を越え、草原を行き、林に入り、それを繰り返して二姑娘山に近づいてゆく。


サクラソウ

サクラソウ

ブルーポピー
頭痛が激しく食欲がなく、元気が出ない。高山病と、トレーニング不足。 展望の良い草原で休んでいると、大勢の中国の若者が馬に乗ってきて、同じ場所で休んだ。賑やかに話し、唄を歌い明るく元気だ。中国の観光客はみんな若く、日本から来る観光客が年配なのとは対照的だ。
私には弁当が無い。ホテルでは言葉が通じないうえ、作ってもらえそうもないので頼まなかった。町で適当なお店も見つからなかった。馬の背のザックに日本から持ってきた食料があるが、面倒なうえに食欲も無いので座っていると、中国の若い女性が「日本から?山に登るのですか?」と英語で話しかけ「これをどうぞ」と言っておかゆの缶詰を差し出してくれた。
日本を立つ前から日中関係のこともあり、単独で中国の奥地に入ることに不安があった。しかし、タンウェイ氏の私への対応と、そして、今、見知らぬ若い女性から差し入れを貰い、中国人に対する不安やわだかまりが消えた。何処に行っても暖かい人がいるものだ。
 登るにしたがい、3500mぐらいで樹木が無くなり、一面のツツジに覆われた斜面になる。
午後の3時過ぎに4200mのBCに着く。正面に二姑娘山を望み左右が山に囲まれたモレーンの丘である。乾いた場所を探してテントを設営する。20名ほどの中国人のパーティーが来て、私の回りにテントを設営し、夜遅くまで騒いでいた。日本から持参した乾燥食材で夕食を作り、明日登る二姑娘山を眺めながら食事をする。

BCから二姑娘山を望む

シャクナゲの花
二姑娘山へ
  18日、朝3時、中国人たちは起きだして出発の準備にかかる。私は昨夜、頭痛と動悸が激しく一睡も出来なかった。とりあえず、軽く朝食を食べ再度、横になっていると少し元気が出てくる。中国のパーティーが出た後、出発する。まだ、暗い中に先行した人達のヘッドランプの明りが点々と続いている。雪の斜面をアイゼンをきかせてゆっくり登った。

 
ルートはなだらかな雪原を進んで山頂からの壁の下に行き、左のコルを目指す。それから山頂下の壁をトラバースして、右の稜線に出る。そこから山頂目指して急な稜線を登る。左側は今上ってきた雪の壁、右は断崖となってはるか下まですっぱりと落ちている。

 右の稜線にたどり着き休んでいると、山頂を向いていたガイドが突然大声を出した。振り向くと滑り台のような狭い稜線を人が滑って落ちてくる。手にしたストックを雪面に刺し、止まろうとしているが制動が利かない。私の座っている2〜3m手前で止まった。あと50cmも滑れば右の断崖に消えていったに違いない。落ちてきた男は雪面にすわったまま動こうとしない。山頂から降りてきたメンバーが取り囲んでいた。

私はガイドに降りる合図をして下山を始めた。途中でガイドに先に下りるよう指示し、自分はゆっくり休みながら下山した。雪の壁を降りきったあたりで、先程のメンバーが数名追いついてきた。その中に滑落した男が入っていた。一緒に休憩をとり、雑談をした後、雪の斜面でピッケルを使用して、制動の仕方を実演して見せた。腹ばいで滑った場合、仰向けに落ちた場合などをして見せると、拍手をし、握手を求められ一緒に写真に入ることを求められた。BCまで一緒に下山し、彼らは帰って行った。一人になり、静かに暮れてゆく雪の山々を眺めながら食事をした。暗くなり始める頃、雨が降り出し、一晩中雨がテントを叩いていた。

 下山
    雨の中でテントをたたみ、荷を馬に積んで下山。上は雪の様子。しばらく歩くと天気は回復し、一面に咲く高山植物を撮    影しながら歩く。

 長坪溝(谷)、双橋溝(谷)のトレッキング
   20日 夕方 長坪溝に入る。入山料を払いバスに乗り終点で降りて沢沿いの道を歩く。1人静かな遊歩道  を歩く。沢沿いにリュウ  キンカや一重のシャクヤク(たぶん原種)、スミレの花が目立つ。谷の水音を聞き、林の中の草花を見、山の井氏が登ったという、  はるか雲の上の夕陽に輝く四姑娘山の北壁を眺めながら一時  間ほど歩く。
   21日 双橋溝をトレッキングする。双橋溝は上高地のスケールを大きくしたような地形で、両側に氷河に侵食された急峻な岩峰   が聳え立つ。屏風岩のような断崖に滝がかかる。最奥の紅杉林までおよそ30Km、豊な水量の川が、渓谷を作り、大正池の様な水  面に枯れ木が立つ風景も作っている。開けた場所は巾1Kmほどの谷間に、林があり、湿原があり、牧場が広がっている。


双橋溝の山(5000mの峰が屏風のように連なる

双橋溝

9時にゲートが開き、私が今日最初のお客であった。入谷料を支払うと、30人乗りのマイクロバスに運転手ときれいな民族衣装を着た若い女性のガイドが待っている。グループ単位で乗るので一番バスの乗客は私が1人であった。
 最初のポイントで下車し、私は右岸を歩こうとした。ところが、運転手とガイドが行くなと止める。ザックを背負ってバスを下り、歩き始めると運転手とガイドが大声で必死に止める。近くにいた人も集まり私を取り囲み、バスに乗れと腕を引く。
私には彼らがどうして止めるのかわからない。とにかく振り切って1人林の中の小道を歩き始めた。振り返ると、たった1人のお客がいなくなったバスの運転手とガイドは、自分たちがどうしたらよいのか分からないと言った感じで呆然としていた。
右岸の歩道は予想通り素晴らしいトレッキング道であった。湿原にサクラソウが一面に咲き、ピンクのじゅうたんのようだ。道は湿原から林に入り、木漏れ日の中で様々な草花が咲いている。沢を渡りまた湿原を通り、牧場に出る。牛はゆっくり集まってくるがヤクは用心深く離れて行く。牧場の境は流木などを人の背丈ほどに積み上げ、動物が出ないように、そして、人も通れないようになっていた。その策を乗り越えて牧場に入ると沢山の羊が朝日の当たる道に横たわっている。近づくと鳴きながら立ち上がり道を空けくれる。
そんな牧場をいくつか過ぎた頃、草葺きの小屋から男が1人出てきた。帽子を取って挨拶すると怪訝な顔をしながらも挨拶を返してくれたので、少し怖かったが小屋の中をのぞいて見た。暗い小屋の中央で火が燃えている。勝手に火のそばに行きベンチに腰掛けた。私が話しかけたが返事がないので無言のまま。火の傍の灰の上に今焼いたばかりの30cmほどの丸い厚いパンが2つ転がっている。小銭を渡しパンをいただいた。叩いて灰を落として食べると、香ばしくてとても美味しい。男は黙って汚れたカップにやかんからミルクを入れて差し出してくれた。パンもミルクも美味しかった。挨拶をして小屋を出ると、男は初めて笑顔を見せた。

高い岩壁から100mを越す滝が落ちている。その下流の沢にたどり着くと橋が外され道が途切れていた。豊富な水が急流となり、沢を渡ることが出来ない。ここで初めて、先程、バスの運転手とガイドが私を止めた理由が理解できた。道が通れないから行くなと言っていたのだ。渡れる場所を探して沢を上流に登り、浅いところを靴とズボンを脱いで渡った。水はしびれるほど冷たかった。それから先はところどころで道が消え、藪の中や湿原、沢を何度か渡り苦労して歩いた。両側は切り立った5000m級の岩山、青い空に雪を戴いた岩峰が輝く。美しい自然の中で、水の音と野鳥の声が響き、とても楽しいトレッキングであった。


一面のサクラソウの群落

一重のシャクヤク(原種?)

成都に帰る
  22日 7日間過ごした四姑娘山を後にして成都に向かう。朝から激しい雨が降る。

 成都に日本人が経営する宿に宿泊。いかにも日本人の経営らしく細かいところまで行き届き、沢山のトレッカーで賑わっていた。ヨーロッパや米国から来た人、日本から来た若者、これから中国の奥地へ1人で少数民族の写真を撮りに行く若い女性などと話す。久々に言葉が通じて、まともな食事が出来たことも嬉しかった。

23日 バスに乗り成都から西に65kmの青城山(せいじょうさん)と都江堰(とこうえん)の二つの世界遺産を訪ねる。青城山は標高1600mの数十の峰からなる広大な山で、道教発祥の地。うっそうとした木々の中に伽藍が点在し5kmの石段を登って、前山(1260m、青城山一峰)に登る。山頂からは、西に岷山雪嶺がそびえ、東には成都平原がかすみながら果てしなく広がっていた。

帰りに、都江堰(とこうえん)を訪ねる。紀元前3世紀に始まった大規模な古代水利施設で、信濃川より大きな川に人工の中州を作り、洪水対策と灌漑用水として成都平原(5300ku、千葉県の面積以上)を豊な大地に変えたものである。中国文明のあきれるほどの偉大さが感じられる施設であった。

 

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