マッターホルンにチャレンジ
                                    
2005年6月
マッターホルン
1、マッターホルンへ出発まで
  昨年、ブライトホルンに登り、隣りのマッターホルンを間近に眺めて、来年は頂上に立ちたいと思っ た。 この大きな険しい山を登るには体力、特に脚力が必要と思われ,冬場は近くのゲレンデ(全長1,5Km 標高差300m)に山スキーを履いて登り、厳冬期の蓼科山に登ってアイゼン歩行などの雪 山のトレーニングを重ねた。雪が解けた春からは15Kgの砂袋を入れたザックを背負ってゲレンデを登り、5月末には雪の富士山 に登ってトレーニングと高度順化を図った。
  北極で負った指の凍傷のため極端に落ちた握力も最近はほぼ回復した。また、辛かった腰痛も一 昨年、思い切って手術し、もともと強健な体ではないが、トレーニングで年齢相応の体力を付けられたと思っている。
  インターネットでマッターホルンの登山を調べるとほとんど8月で、6月に登頂した記録を見つけることが出来ず不安があったが仕事の都合で出かけることにした。
 6月初め、ツェルマットのアルペンセンター(ガイド組合)に、マッターホルンの登山申請とガイドの紹介を依頼するメールを送った。数日後、必要な登山用具、費用、そして、登山前に可否の判定をか ねたトレーニング登山があり、4つのコースから自分が好きなコースを選ぶように、という内容の返事が届いた。コースは
   ・ Pollux 4091m 岩と氷のルート(日帰り)
   ・Breithorn ハーフトラバース4165m(日帰り)
   ・Rimpfishhorn 4199m(1泊)岩と氷のコンビネーションルート
   ・Riffelhorn 2928m(日帰り)マッターホルントレーニングのロッククライミングルート
 の4つがあり、私はRiffelhornを選ぶ旨、メールを送った。
  昨年トレッキングしたゴルナーグラードの近くにあり、マッターホルンを眺めながら岩登りが出来る場所で、4〜6級のルートが数本ある。ほとんど垂直の印象だったがどうせガイドから教わるなら、一番難しいのが良いだろうと単純に考えて決めた。

2 マッターホルンへ 出発 
  6月27日 午前1時に家を出て、佐久市から乗り合いタクシーで成田へ。10:15発のKLM機で日本を立ち、アムステルダム経由で同日午後5:35にチューリッヒに到着した(飛行時間約13時間)。駅前の安い宿(といってもチューリッヒの宿は高く朝食付で120S(スイス)フラン 1Sフラン約85円)を探して宿泊。
  6月28日 電車でツェルマットに向かう。私の英語が通じないことを考えて、行き先、人数(1人)、片道などを紙に書いて駅員に渡すと、切符と一緒にタイムテーブル(乗換駅の到着、出発時間、ホームNOなどをパソコンで打ち出した紙)を作ってくれた。
  列車の旅を楽しみ、昼過ぎにツェルマットに着く。まずインフォメーションセンターに行って安い宿を紹介してもらう。(朝食付3泊で315Sフラン) 宿に行ってシャワーを浴び、町を散歩して、午後4時の開業時間に合わせて、アルペンセンターに入った。名前を告げメールのコピーを差し出す。
  受付嬢から「まだシーズンが早く、他にお客がいない。登山の可否判定を兼ねたトレーニングはお客が1人の場合は2倍の費用が必要だが、私の登山経験(特に6月のメンヒに登頂していること)からトレーニングは不要」、という。私はトレーニングをしたいと言った。彼女らはそれでは、閉店時間の 6:30に再度来るようにという。時間をつぶし、6:30に再度、センターに入った。受付嬢から「私以外にやはりお客がいない、トレーニングは明日マッターホルンの登山ルートで行い、登頂は明後日とする」、ガイド料(手配手数料、本人とガイドの宿泊代、夕、朝食を含む)1130Sフランと一緒に支払い、途中で食事をして宿に戻る。

3 マッターホルンへ
  6月29日  昨日、アルペンセンターで指定された8:00にケーブル乗り場に行くと、長身の若いガイ ドが待っていた。名はリチャード、明るくたくましい男で、彼なら私が落ちてもしっかり止めてくれそうで頼もしい。その反面、彼のペースについていけるか、ちょっと心配になる。


岩場の花

ヘルンリヒュッテ

小屋の周りに咲いていた花
  終点のシュバルツ・ゼー駅からヘルンリヒュッテを目指して山道を歩く。ヒュッテの15分ほど手前で雷が鳴り、雨が降り出した。リチャードはもうヒュッテに入ろうとしている。私は雨具をつけて激しく降る雨の中を歩いて10:00にヒュッテに到着、濡れた雨具を壁にかけ、リチャードとコーヒーを飲む。
 しばらく、休んでいると雨が上がり、日が差してくる。ここから仰ぎ見るマッターホルンは恐ろしいほど大きく凄い、無駄なものを全てそぎ落とし、山というより巨大なスフィンクスのような岩が覆いかぶさってくるような感じである。取り付くところがまったくないように見え、こんな岩の山を素人の自分が果たして登れるのか心配になる。
  リチャードにトレーニングに行こうと言われ、ザイルを結んで11:00にヒュッテを出た。10分ほど歩くと取り付き点に着く。いきなり大きな岩で、リチャードが先に登る。固定ロープがあり掴まっても体が振られそうになるが、小さいがホールドもあり落ち着いてバランスをとって登る。ほとんどコンティニュアンスで登り、難しい2〜3ヶ所では「ウェイト」と言って、私を待たせて彼が先に登り、豚のシッポの  ような固定ピンにザイルを巻いて確保し私に登らせた。ルートは左の東壁と右の北壁の間のヘルンリ稜にある。ヘルンリとは小さい山の意味で鋸尾根を意味するらしい。
 一部に戸隠の蟻の戸渡りのよ うな痩せた岩を、バランスをとって渡る箇所(両側がはるか下まですっぱり落ちている)もあるが、ほとんどは東壁側を登っている。ルートはあまりはっきりしていない。 2〜3級といわれているが、岩は乾いていてそれほど難しい箇所もなく、2時間かけてのWeu? Point(3500m)に着き、今日はここまで。

東壁

トレーニング登山の最高点で

北壁
  下山開始、私が先に下りる。東壁が足元から切れ落ちていて、彼が後ろでザイルを持っていてくれるが、思わず足がすくむ思い。「ミギ、ヒダリ」というのでその方向に進むとノーと言って逆を言う。「レフト、ライト、ウェイト、アップ、ダウンは判る」と言って英語に代えてもらった。
 途中でまた雨が降り出す、リチャードは雨具を着けるように言ったが、私はヒュッテに乾したまま置いてきてしまった。うかつだったがたいした雨にならずに助かる。
  2:00にヒュッテに到着、彼は「Nice climbing! No problem(問題なし)」と言ってくれた。お世辞と思ってもうれしい。この調子なら明日は頂上に立てると思った。2人でスープとパスタにチーズと粉末野 菜をかけたようなランチを取る。
  ヒュッテには北壁に挑戦する韓国から来た5人のパーティーがいた。北壁の取り付き点が判らず、リチャードに案内してくれと頼んでいたが、彼は壁の大きな写真で説明していた。最年長のキムさんと親しく話をする。
  ガイドのリチャードは32歳で、奥さんと7ヶ月の息子とツェルマットに住み、18歳でマッターホルンに 初めて登り、今回が118回目になると言う。アルプスの多くのバリエーションルートを経験し、ヒマラヤ、北、南米、ロシアの山などを登った。
  地元でマッターホルンに登る人は少なく、他の易しいルートのガイドは多いが、マッターホルンなどをガイドできるものは少ないと言う。昨年ブライトホルンでガイドをしてくれたジェルクを希望したが都合が悪いといって、リチャードが来た理由が理解できた。
  夕方、リチャードが装備の確認をしてくれた。不要とされるピッケル以外、装備は全て日本から大小2つのザックに入れて持ってきて、今回必要ないものはホテルに置いてきた。今日のトレーニングで使用したヘルメット、ハーネス、登山靴、上着などは当然問題がなかった。
  その他携行するものとして、アイゼン、フリースのウェアー、ヘッドランプ、サングラス、貴重品(お金、パスポートなど)リップクリーム、ホイッスル、薬品、カメラ(デジタル一眼レフ)、携帯食料(チョコ、カ ロリーメイト、チーズ、ヨウカン)テルモス(テルモスは食堂に置くと朝までにお茶を入れてくれる)。
 残置を指示されたものは、オーバーズボン、スパッツ、洗面道具、ライト用スペアー電池、予備の下着、靴下、筆記具、帽子。
 夕食は、スープとパン、肉料理、デザートはアイスクリーム。
4 マッターホルン登山開始
  6月30日 朝の1時に目が覚めてトイレに行くと、外は激しく雨が降っていた。「ああ・・今回も雨」 がっかりして気力もなくなる。しかも、どうも体調が悪い。日本を出る前に、私が住む女神湖畔の植物の名札の原稿作りで睡眠時間を削り、長時間のタクシーと飛行機、汽車の旅、時差ボケの睡眠不足、そして昨日のトレーニングの岩登り、休みなしで体が疲れきった感じがする。眠れぬまま、中止になった後のことを考える。ここで、待つのか?いったん町に戻るのか?その場合の費用は?これらを、英語で質問するには?・・、などと考えていると。
  突然、ドアーが開いてリチャードが入ってきた。「レッツ ゴー!」。「えー! ちょっと こんな天気に登るの?」と、時計を見ると3:30分。とにかくあわてて準備をしてトイレに行き、食堂に行く。まったく 食欲がなかったが、食事中の3人に混じってコーヒーとパン、チーズを口に押し込む。
  4:00 リチャードとザイルでつなぎ、ヘッドランプをつけて出発、雲の間から星が見える。雨が上がったばか りで地面が濡れていた。先行した2パーティーのランプの明りがすでに岩場に取り付いている。
 夏には数十組登るらしいが、今日は我々とイギリスから来たガイドと登山者、そして、昨夜、東壁の下でテントを張っていた若い男女のペアーの3組のみ。
 リチャードが先に立ち岩を登る。昨日、トレーニングで登ったばかりで感覚も判り、ヘッドランプの明りを頼りにコンティニュアンスで続く。まもなく、先行したイギリスのパーティーを追い越す。次第に岩の上の雪が増してくる。1時間ほど登ると積雪が10cmぐらいになり、アイゼンを付ける。
 昨日、リチャードは頂上の15分ぐらい手前でアイゼンを付けると言っていたが、昨夜の嵐は雪を積もらせ、早い装着になる。冷たさで以前凍傷になった指が痛み出す。雪を払ってホールドを探しアイゼンの爪先を岩にかけて、体を持ち上げる。太ももが痙攣を起こさないか心配しながらリチャードに遅れないよう続いた。
  やがて次第にあたりが明るくなり、背後のロートホルンがシルエットで浮かび上がると、その上の雲が明るく色づく。朝の光が真っ先にマッターホルンのピークを照らす。光が徐々に下がってきて東壁上部のオーバーハング気味の三角形がモルゲンロートに輝き、周りのブライトホルンやモンテローザも朝日に輝く。雪と氷に覆われた東壁の右端で固定ピンに身をゆだねながら、素晴らしいアルプスの朝を眺めた。

朝日に輝くマッターホルンのピークと東壁

周りの山も朝日を浴びる
  ソルベイ小屋下の岩壁(ウンター・モズレイ・スラブ、3級マイナス)は厳しかった。雪と氷が岩を覆っている。リチャードは私にウェイトを命じ、岩の雪を手で払い、バランスをとってぐいぐい登っていく。
 私には見えないがリチャードは雪の中の固定ピンに達すると、ロープを固定(二重巻きにするだけ)して私にゴーを命じる。リチャードが使ったホールドに手が届かず、新たに雪を除いてホールドを探しながら登った。私にとって、この登攀はとても緊張し、体力を消耗した。
  この難所を登りきるといきなりソルベイ小屋に出る。ソルベイ小屋(4003m)はオーバーハングの岩の下に作られた、小さな無人の非難小屋で、中は狭く正面にこの小屋を作ったソルベイ氏の写真がかけてあって、その下はトイレのドアー、トイレの中にはザイルなどが積まれていた。
 ここで休憩、カロリーメイトもチョコレートも、からからになった喉に張り付き、落ちていかない。テルモスのお茶で流し込もうとしたが、赤い酸味の強い液体(お茶といっていたが?)は口に合わず、水が 欲しいが(500ccの)半分ほど持参したペットボトルはすでに空になっていた。体調はいまいちで、これ以上の険しい雪と氷が着いた壁をさらに登り続ける体力があるのか不安があったが、しばらく休み、周りの景色(と言うより目の前は何もない空間)を眺めているうちにまた元気が出てくる。
 トイレから戻り、「さー、もうひとがんばり」と思っていたら、リチャードが静かに話した。「雪のためこれ以上は危険だ。これから下山する」私は「オーノー!」と叫んで彼と頂上を交互に見上げた。頂上は 間近に見え、先程と同じような壁(ユバー・モズレー・スラブ、3級)を超えると北壁側の肩の雪田でそこから頂上には容易に登れそうに見えた。
 ガイドの判定は客の希望で覆ることはない。あきらめて写真をとった後、下山体制に入るしかなかった。

雪の登攀ルート

ソルベイ小屋で

ガイドのリチャード
5 マッターホルンを降りる  
 小屋から10ピッチほどは、リチャードが固定ピンに巻いたザイルを少しずつ緩め、懸垂の要領で私が降りる。私が固定ピンにザイルを固定すると彼はザイルを二重にして、やはり懸垂の要領で降りることを繰り返した。一本のロープに身をゆだね、2000m下まで続く東壁を足の間から眺めながら、時には右にトラバースしながら降りた。
 スラブは朝日を浴びて雪がとけ、音を立てて水が流れ落ちていた。
 10:00にヒュッテに帰る。韓国隊のメンバーから(私のような年寄りが?)雪の壁をあそこまで登ったのは立派と誉めてくれるが、私は落胆の気持ちの方が大きかった。リチャードと一緒にスープと炭酸 水を取る。マッターホルンが覆いかぶさるように聳え、登るまで気付かなかったソルベイ小屋が、小さく岩に張り付いているように見える。時折、雲がかかって、視界からマッターホルンが消えていく。
 11時、荷物をまとめ、小屋に残るリチャードと別れてヒュッテを後にする。リチャードは「モンブランの後にまた来い、それとも、来年また一緒に登ろう。Youは雪がなければ必ず登れる」と言ってくれる。

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